3/03/2012
今のこと、これからのこと
3ヶ月、光センサーテルミンのケースを開いていません。
千葉での持続可能を目指した生活が忙しいという理由もあるけれど、
私のしがらみは『電気』だった。
もし『電気』の選択が自由に行われるようになれば、
私のしがらみも少しづつ消えてゆくのだろう。
(パンピーに対して)『電気』の選択が自由に行われない現在は、
その根源である"原子力””放射能"の今は、
私にとっての大いなる悩みである。
このまま、あの『電気』を使って演奏したいだろうか?
そもそも、もし日本で生きるなら、体内に、あの『電気』の根源("原子力””放射能")が入ってこない日はないのだろうか?
これって大げさで、意味の無い悩みなのだろうか?
電気楽器を演奏しているひとたちで、あの『電気』ではない電気が動かせたら、
しかしそれが出来なくても電気のこと、"原子力””放射能"のこと、『考え直す』空間を創れないだろうか。
これがエゴじゃないとは思っていない。
だけど、
あの『電気』を使って演奏することが、平和に繋がること?
あの『電気』を使うことが、暴力にはならない?
音楽は、美術は、人と人が繋がるための手段ではなかった?
電気楽器演奏家は『電気』についてどう考えているのだろう?
ずっとひとりで考えている。
「電気楽器演奏者と電気を考える集団をつくること」
これ、そろそろ動いてみようかほととぎす。
ご協力/アドバイス下さる方も、懇願しています。
もう、光センサーテルミンを始めて5年目。もう、ライフワーク。
私は、日本に居る限り『電気』とのふか〜いお付き合いは続きます。
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